人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブリテンとメシアン-3(終)

間を空けてしまいましたがこれでようやく一区切りです。今日は小石川の播磨坂の桜並木がたいへん綺麗でございました。

-------

前回前々回と、それぞれの作曲家と作品の外面的特徴に軽く触れてきましたが、さて、私がブリテンの「戦争レクイエム」を聞いたときになぜメシアンの「されば我、死者たちの復活を待ち望む」を思い出したかというと、それは両者に共通する「儀式性」という至極当たり前、月並みのことなのでした。もともと私は式典の音楽、儀式の音楽には非常に興味があり、たとえばヒンデミットの「プレン音楽祭」(1932)も、朝、あんな妙な曲(いい意味です)を塔の上から金管楽器で吹かれたら困るんじゃないかとか、夜にリコーダー3本であんな妖しい曲を演奏したら眠れなくなってしまうのではないかとか、いろいろ妄想してしまうのです。「新・祝典行進曲」は小学生の頃にテレビで見ていて、子供心に感動しました。

信心深さに関しては、これは当人達が故人なので何とも言えませんが、文献などによれば、メシアンは敬虔なカトリックで、その作品はほとんどキリスト教と密接に結びついています。対してブリテンは、前も書きましたが同性愛者であり(キリスト教では確か同性愛は認められていないはず)、彼が敬虔なキリスト教徒だったかどうかはわかりませんが、そうであろうとなかろうと、このように神秘的で荘厳な曲を書きえたのは一種の奇跡だと思います。同性愛と関係してくるかはわかりませんが、ブリテンは「キャロルの祭典」に代表されるような少年合唱の曲を多く書いており、私は「戦争レクイエム」の中で好きな部分を挙げろといわれたら、「オッフェルトリウム」の冒頭、オルガンと少年合唱を挙げます(その後の「サンクトゥス」から「リベラ・メ」までの展開も圧巻で、全く飽きさせないのですが)。これに対し、メシアンは「神の現存のための3つの小典礼」や「5つのルシャン」など、女声合唱曲の名作が多いのが特徴です。

さらに、ブリテンのほうの最後の部分が「俺たちを休ませておいてくれ」であるのに対し、メシアンはタイトルからして「されば我、死者たちの復活を待ち望む」であり、非常に対照的であると思います。あくまでメシアンは「キリスト教」の範疇で作品を書いていたのに対し、ブリテンは第2次大戦で争った各国の歌手を初演に起用することで「和解のレクイエム」としたという、そもそもの意図の違いもあります(実際にはこのアイディアは、録音になってようやく実現したようですが)。

さて、ここで根本的な疑問なのですが、キリスト教徒でない私がこれらの曲を軽々しく好きだなんて言ってよいものなのでしょうか?昔読んだバッハ関係の著書に、「キリスト教がわからなくてもバッハは必ずわかるようになります」と書いてありましたが、その文章には少しの違和感を感じました。宗教の教義を理解せずに「レクイエム」や「ミサ」や「カンタータ」や「受難曲」が「本当に」わかるのでしょうか。そんなことを言ったら、西洋音楽の大部分はそうじゃないかと言われてしまいそうですが…「宗教とは何なのか」、これは特定の信仰を持たない私の中で(いちおう我が家は「曹洞宗」なのですが、1000年以上前の「神仏習合」現象の名残で実家には仏壇と神棚が両方並んでいます。たぶん田舎の多くの家庭に見られる光景なのでしょうが、一体この節操のなさは何なんでしょうか?)数年間ほぐれないままになっている糸の塊です。

以上、長々と書いてきましたが、どちらの曲も一度生で聞いてみたいものです(メシアンのほうは吹奏楽コンクール全国大会で聞いたことがありますが、そもそもカットされていたし、全然儀式的な場じゃなかったし…高校生がやるもんじゃないと思いますよ)。まだ書きたいことはあるのですが、もう少し経って自我が確立したら書くと思います。

-------

あるいはその時は、実家の曹洞宗を裏切ってキリスト教徒になっているかもしれません。
by mako_verdad | 2006-04-04 19:10 | 鑑賞活動

1979年生まれ。某国立大学オケへの入団を機にバストロンボーンを始めました。現在はアマチュアオーケストラ「ザ・シンフォニカ」やいくつかのブラスアンサンブル団体で活動しています。2017年に子供が生まれたので徐々に活動縮小予定です。


by makorim