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ブルックナーの木管楽器に対する処遇

【前置き】 私はブルックナーが大好きです。

ブルックナーといえば、ファゴットほか木管楽器を冷遇していることで有名な作曲家です(出番はそれなりにあるけど、ほとんどが1stのソロ)。現役時代の曲決めにも、「ブルックナーだけはやめてください」というファゴットパートからの主張があったように思います(それにしては、私が入団した時の定期の曲決めはブルックナー6番に1発で決まったのですが。なんで?)。確かに、金管楽器が全力でオルガン的コラールやいわゆるブルックナーリズム(4分音符2つ+2拍3連)を吹いている時にファゴットの2人がやっていることは、ロングトーン(しかもファゴットだけ)だったりするのです。そりゃあ、いくらがんばっても聞こえません。嫌われるのも無理はないです。先ほど「冷遇」と書きましたが、むしろブルックナーは木管楽器を「持て余していた」のではないか、というのが最近感じていることです。

ブルックナーについての紹介文で、しばしば「オーケストラをオルガン的に扱った」という記述を見かけます。だから多種多様な音色の木管楽器よりは、音色的により同質性の高い金管楽器、弦楽器を主軸にし、木管楽器は「ソロ楽器」として扱ったのかもしれません。しかし、木管楽器がオルガン的なハーモニーを奏でることができないかというと、そうではありません。例えばワーグナーの『タンホイザー』序曲冒頭。クラリネット、ファゴット、ホルンが絶妙のバランスでまさにオルガン的ハーモニーを作り出しています。また、ベートーヴェンやブラームス、メンデルスゾーン、シューベルト、シューマンらの交響曲には、しばしば木管楽器でハーモニーを作る箇所が見られ、これはまさにオルガン的です(ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章、あるいはそれを意識したと思われるシューマンの交響曲第4番第2楽章冒頭のハーモニー)。歴史に残る作曲家たちはみな、木管楽器だろうが金管楽器だろうが、オルガンを意識したかどうかは不明ですが、オルガン的なハーモニーを遺してきたことは確かです。

ではなぜブルックナーが木管を「持て余した」のか。それは次のような理由からではないかと私は勝手に推測しています(すでにそういう文献が出ていたら私の勉強不足を大いに恥じるところですが)。

かつてバッハの時代、金管楽器、特にトランペットは神を象徴する崇高な楽器でした。また、トロンボーンは聖書で言うところの「最後の審判」の場面に登場する楽器でした。昔の絵画を見ると、天使たちは皆ラッパを吹いています。つまり、金管楽器はある宗教的特殊性をもって使用されていたのです。プロテスタントであろうとカトリックであろうと、それはおそらく同じことであったのでしょう。さて、ここでブルックナーが敬虔なカトリックであったことに注目してみたいと思います。つまり、ブルックナーはその根本において、世俗的な交響曲と、神聖な宗教曲とをそれほど区別してはいなかったのではないでしょうか。そこでは、金管楽器が神の象徴であり、弦楽器が自然の象徴であり、官能的な音色を持つ木管楽器は「人間」の象徴であり、それを取り入れることができず、だからブルックナーは木管を上手く使うことができなかったのではないでしょうか。色々な評論家が「ブルックナーの後期作品は大宇宙そのもの」などと評しますが、人間の入りこむ余地などそこにはなかったのではないか、ということです(決して木管楽器の地位を貶めたいわけではありません。むしろ木管楽器が神々しさを発揮する例だってたくさんあるのです)。

ブルックナーは、第4楽章を完成させることなく終わってしまった交響曲第9番を、「愛する神に」献呈しています。ブルックナーの作品では、私は中期・後期のものは全部好きですが(ただし8番は非常に長大なので演奏によります)、この9番だけは特別なものだと思っています。初期の3番というのも色々改訂版があっておもしろいです。

また、ブルックナーといえばテューバがまさにオルガンのペダル音的にオーケストラを支えているイメージがあるわけですが、初めて取り入れられたのは4番「ロマンティック」です。だから3番ではバストロンボーンが金管の最低音になるわけで、ちょっと硬質な響きがします。金管奏者以外でそんなところを気にして聞く人はいないのかもしれませんが、ぜひ知っておいて欲しい事項です。
by mako_verdad | 2006-04-13 22:52 | 鑑賞活動

1979年生まれ。某国立大学オケへの入団を機にバストロンボーンを始めました。現在はアマチュアオーケストラ「ザ・シンフォニカ」やいくつかのブラスアンサンブル団体で活動しています。2017年に子供が生まれたので徐々に活動縮小予定です。


by makorim