楽器に対する作曲家のイメージ
2005年 07月 13日
交響曲に初めてトロンボーンを使用したのはベートーヴェンであるという歴史的事実は誰でも知っていることと思いますが、スコアを読んでみると「運命」「田園」と「第九」では、だいぶ使い方が変わってきたな、という印象を受けます。基本的にそれまでは宗教的な曲や歌劇で神聖なものの象徴として使われていたトロンボーンが、ベートーヴェンの先駆的精神によって世俗曲である交響曲に降りてきたわけですが、さてベートーヴェンは「運命」でトロンボーンを用いる時に何を考えて書いたのでしょうか。一般的には、トロンボーン、コントラファゴット、ピッコロを第4楽章に用いたことで爆発的な明るさを表現している(?)と言われていますが(駒場のオケでやった時も、先生に「この第4楽章は全ての交響曲の中で最も明るい始まり方をする」と習いました)、本当のところはどうなんでしょうか?
メンデルスゾーンは、「トロンボーンは、頻繁に使うにはあまりにも神聖な楽器だ」という有名な言葉を残し、事実交響曲では第5番の「宗教改革」にしか用いていませんし、名作『真夏の夜の夢』でも、トロンボーンが登場するのは「結婚行進曲」だけです。どうやらメンデルスゾーンはかつての「神聖な楽器」というイメージを引きずっているようです。その後のロマン派の数多くの作曲家も、このような神聖なイメージを持ってトロンボーンを使っていたと考えられます(ブラームスやマーラーの交響曲で登場する弱音のコラールが好例)。ワーグナーだけは若干イメージが違いますが。
しかしトロンボーンは、時代が下って楽器製造技術が進歩すると、それに比例して音量も増大し、悪魔的で狂暴な音も出せるようになりました。これを上手く利用したのがムソルグスキー、チャイコフスキーを始めとしたロシアや東欧の作曲家ではないか、と私は勝手なイメージを持っています。タラス・ブーリバのトロンボーンも基本的にはブーリバ隊長の強烈な(好戦的な?)個性の反映ですから(あとは、ポーランド軍の狂暴な踊り)。20世紀になると、ジャズの影響もあったりしてトロンボーンの表現の幅も劇的に広がっていくわけですが、作曲家がどういう音、イメージをトロンボーンに要求していたのか、もっとよく考えながらスコアを読んだり楽器を吹いたりできるとさらに楽しみが広がるだろうな…と思っています(何をいまさらって感じもしますけど、昔はそんなこと全然考えずにただぼーっと吹いてただけですから)。
やはりオーケストラでの演奏活動は長く続けたいものです。トロンボーンの出番は少ないですが、色々な楽しみがあります。特にバストロンボーンパートはマニアックな楽しみ方の宝庫である、と信じて疑っていません。
【過去のマニアックな楽しみ方の一例】
ドヴォルザークはバストロンボーンとテューバをほとんどオクターブユニゾンでしか使いませんが(交響曲第8番のスコアを見てみましょう)、例外中の例外として「7度」でぶつけてきます。私の大好きなチェロ協奏曲の第3楽章に1箇所だけあります。これを上手く嵌めることに大きなやりがいを感じました。ちなみに、7度の音は純正律的には約30セント低く取らないといけません。慣れないと気持ち悪いです。